高校の入学式が終わってすぐのことだった。
新入生歓迎会が行われた。
最後に演劇部による劇があった。
てっきり眠ってしまうかと思いきや。
想像以上に面白い劇だった。
部員の演技が上手なのが大きな理由の一つだったが。
一人、プロの俳優なんじゃないかと思うほど抜群に上手い人がいた。
彼は悪役を最後まで恐ろしく、そしてカッコよく演じた。
「俺と地獄へ堕ちようぜ」
その台詞で、私は堕ちた。
地獄ではなく恋に。
そんなわけで。
私は演劇部に入る決意をした。
部員に恋をしたからという不純な動機だった。
その日の放課後に早速、演劇部を覗きに行った。
部室には真新しい制服を着た女子が沢山いた。
彼女達の視線の先は、一人の男子。
そう。
彼は演劇部で一番、演技が上手かった人だ。
「今日の劇の悪役を演じた人って演技部の部長なんだってー!」
「じゃあ、やっぱり演劇部入らなきゃね! 部員になったら部長を眺め放題!」
隣にいた女子二人組がそう言って騒いでいた。
不純な動機で入部希望をしているのは、どうやら私だけではないらしい。
すると。
私たちの前に部長が登場。
彼はニッコリ微笑んでこう尋ねる。
「君達は全員、演劇部に入部希望なのかな?」
本人の登場に騒ぎ出す一年女子達。
それを見た部長の顔から笑みが消えた。
次の瞬間。
「一年! 人の話は聞け!」
どこからそんな声が出るんだ、というぐらいのボリューム。
部長の言葉に辺りは静かになる。
彼は再び笑みを見せ、声のボリュームを戻して続ける。
「さて。入部希望者は今から腕立て五十回だよ」
一人の女子が手を挙げ、恐る恐る口を開く。
「あの、私、脚本が書きたいんですが……」
部長は笑みを絶やさないまま、穏やかな口調で続ける。
「脚本家は代役が必要になった時に舞台に出てもらうことがある。だから他の部員と同じトレーニングをしてもらうよ」
脚本家志望の彼女は「ごめんなさい」とだけ言って部室を出ていった。
そして一人、二人と部屋を出ていく。
部長はかまわず続ける。
「入部すれば腹筋、腕立て、グラウンドが空いてる日はランニングと沢山の練習をしてもらうよ。放課後はもちろん。夏休みも冬休みも春休みもないと思ってね」
すると。
十数名はいたはずの入部希望者はどんどん逃げ出していった。
とうとう残ったのは、私一人。
「君、名前は?」
部長に尋ねられ、私は無意識の内にビシッと背筋を伸ばし、震える声で答える。
「一年A組の小鳥遊杏です!」
「小鳥遊さんか。君は根性あるみたいだね」
「……は、はい。ありがとうございます……」
違う。
逃げ遅れただけなのだ。
でも私の体は恐怖で動かない。
部長の笑みと穏やかな口調がなぜだか恐ろしい。
舞台で悪役を演じていたせいか、余計にそう見える。
「小鳥遊さんは何を希望かな? 君はヒロインに合いそうな顔立ちだけど……背が小さ過ぎるかな。あ、子供役ならいいね」
部長の言葉に私は胸にぐさぐさとナイフが刺さったような気分。
気にしていることを……。
子供役なんてやらされてたまるか!
私は思わずこう言った。
「私は脚本を書きたいです」
部長は驚いた顔をした後、ニッコリ微笑んだ。
「えっ?! 演劇部に入ったの?!」
お昼休みの騒がしい教室で、友人の愛梨が驚いたような声でそう言った。
「入ったっていうか……まだ入部できるかどうか分からないの」
私はため息をついて答えた。
「どういうこと?」
「三日以内に、お話を十個考えてこいって言われたの。原稿用紙五枚にまとめて……」
私はそう言うとカフェオレを一気に半分ほど飲み干した。
「えっ? なにそれ? ってゆーか杏、あんた脚本書くの?」
「ま、まあ、流れでね……」
そうなのだ。
昨日「脚本を書きたい」と申し出た私に部長は笑顔でこう言った。
「それじゃあ、お話を十個考えてきてね。新入生だから原稿用紙五枚でいいよ。そうだな。三日以内に僕に提出してね」
「提出できなかったら、どうなるんですか?」
部長はキッパリこう言い放った。
「もちろん他の部へ行ってもらうよ」
魔王を倒すと心に決めたレベル1の勇者が、村に出た直後に中ボスに遭遇。
そんな気分だった。
しかし。
そんなことで「やめます」とは言えない。
負けず嫌いの心に火がついた私は必死でお話を考えた。
脚本はおろか、お話なんて書いたこともないけど。
とにかく必死で、頭をフル回転させた。
「書けた!」
私はそう言うとパソコンのキーボードを打つ手を止めた。
そしてプリンタで印刷をした。
原稿用紙五枚がギリギリ三日で完成したのだ。
「勝ったぜ!」
私は右手を高く掲げた。
カーテンの隙間から太陽の光が差し込む。
ああ、今日は気持ちのよい朝だなあ。
「酷いな」
その日の放課後。
早速、部長に私の力作を見せつけてやったら、そう言われた。
「え? 酷い?」
私は驚いてそう聞き返した。
部長の顔には三日前の、初めて私がここに来たような笑みはなかった。
「そう。酷い。感想はそうとしか言えない。小鳥遊さんは活字を読まないだろ」
素っ気ない口調で部長が言った。
「ええ、はい……ごめんなさい」
「そこはまあ、直るかもしれないけど、アイデアが全滅。しかも十個目のこれ、どっかで読んだことあるような設定だぞ」
部長はそう言うと長机の上に私の原稿用紙を放り投げた。
「じゃあ……入部……できないんですか?」
「そういうことなになるね」
部長の言葉に私は拳をグッと握った。
踵を返した彼の背中にぶつけるかのように私は言葉を投げつける。
「寝ずに……寝ずに頑張ったんですよ! 脚本って言っても私はそもそもお話を考えたことすらないんです! それなら経験者かお話を考えられる人しか脚本は書かせないって言ってくれればいいじゃないですか!」
部長は私の顔を見た。
私は負けずに彼を見上げる。
ちくしょう。部長の背が高すぎて首が痛い!
「結城君、やりすぎ」
その声に振り返ると。
整った顔立ちの美人が立っていた。
しかも手足が長くスラリと伸びた長身。
まるで映画のヒロインのよう。
そうだ。彼女は確か新歓の劇のヒロインだった。
部長が演じていた龍ノ佑が恋をしていた相手だ。
「白鳥先輩……」
部長はそう言って彼女を見た。
白鳥先輩は細く長い綺麗な指で私の原稿を手に取り、読み始めた。
五分ほどで読み終えると、こう言った。
「三つ目と七つ目のお話がいいわね。三つ目は少しファンタジー色を入れて、七つ目は思い切って恋愛色を削っても良さそう」
「先輩」
「私が脚本を書いていたのよ。後任は私が決めてもいいでしょ?」
「確かにそうですね……」
部長の言葉に白鳥先輩は私を見てこう言った。
「じゃあ、脚本は貴方にお願いするわね」
彼女はそれだけ言うと部室を出て行った。
「――それで、めでたく演劇部に入部できたわけだ」
愛梨の言葉に私は笑顔で答える。
「白鳥先輩のおかげだよー。三年生で今年、引退しちゃうんだって」
屋上のフェンスの向こうに模型のような町並みが見える。
そんな景色を見ながら私はタコさんウィンナーを口に入れた。
「その人、新歓の劇でヒロインの紫乃役やった人だよね?」
「そう! ものすごく綺麗な人だったよ!」
私の言葉に愛梨はサンドイッチの袋を開けながら言った。
「なるほどねー」
「なに?」
愛梨はニヤリと笑ってこう言った。
「部長ってさ、その白鳥先輩のことが好きなんじゃないの?」
「そんな――」
私は否定してしようとしてやめた。
あんなに美人で、演技もうまくて、しかも脚本も書ける。
しかも。
一度は私の入部を拒否した部長が白鳥先輩の一言で快諾した。
……ということは。
私は愕然とした。
春の風はまだ冷たい。
「じゃあ今日の練習はこれで終わり!」
顧問の先生の言葉に皆、頭を下げた。
「ありがとうございました!」
校舎中に聞こえそうな声が部室いっぱいに響く。
部員達が帰り支度を始めたので、私もドアの方へと歩き出した。
振り返って部長を見る。
白鳥先輩のこと、好きなのかなあ。
いやいや。
あんなドSで意地悪な部長、興味ないもん!
私は脚本家として頑張る。
ただそれだけ。
そんなことを考えながら部室を出たもんだから、うっかりカバンを置いてきてしまった。
それに気づいたのは、校門を出てすぐ。
良かった! 家に帰る前で!
私は慌てて部室に戻った。
ドアを開けると、部長がいた。
彼は私に気づくとニヤリと笑った。
「やーっぱりカバン忘れたの、小鳥遊だったか!」
「やっぱりってどういう意味ですか……」
私は長机にポツンと置いてあったカバンを肩にかけた。
「忘れそうな顔をしているというか、オーラがあるんだよ」
「なかなか失礼ですね」
私はハッとしてこう尋ねた。
「まさか?! カバンの中身とか見てませんよね?」
「数学の教科書がよだれまみれ……って見るわけないだろ!」
部長はそう言うと持っていた薄い本で軽く私の頭を叩いた。
「部長、それって台本ですよね?」
「ああ。新歓の時のな」
「新歓の時? もう終わった台本を読んでたんですか?」
「いやいや。ビデオを見てダメだった所を徹底的に解明して一から練習してるんだよ」
部長はそう言うとその場にしゃがみこんだ。
首にかけたタオルで汗をふいた。
「一から、ですか」
「ああ。そうそう。小鳥遊が今日、書き直してきたお話十個、読んだ。少しは良くはなったな」
「そうですか」
「でも、まだまだ。あの程度じゃあ脚本は書かせられないな。二日以内にお話十個、原稿用紙五枚で!」
部長はそう言って笑った。
そんな爽やかな笑顔に騙されないんだから!
「……こうして杏ちゃんは二日間ぶっ続けで徹夜をして授業中に居眠りをして数学の宿題が他の生徒の倍になりましたとさ。めでたしめでたし」
「めでたくなーい!」
私の言葉に愛梨が笑う。
お昼休みの中庭は静かで校舎の中で騒いでいる生徒達の声がここまで聞こえてくる。
「明らかにその『爽やかな笑顔』ってやつに騙されてるよね? アンタ、壺とか絵画を買わされるタイプよ? 気をつけてね」
「別に騙されてないよ。私は白鳥先輩の後任として頑張ってるだけ。あんな演劇バカな部長のためじゃないの」
私はそう言うと卵焼きにフォークを向けた。
「ふーん。そうなの? 好きじゃないの?」
愛梨の言葉に、私は卵焼きにグサリとフォークを刺してから答える。
「大嫌い!」
演劇部の一員となって三ヶ月が過ぎた。
部員達は十月の文化祭の公演に向けて練習を開始した。
文化祭の出し物は『レ・ミゼラブル』だ。
私の脚本は部長にとことんダメ出しをくらって使ってもらえなかった。
だから私はコゼットと仲の良い子供Aの役を演じることになった。
脚本には心が折れるほどの批判をされた上に、身長が低くて童顔だからという理由で子供の役。
そんなわけで、最近は部長と顔を合わせたくないなあと思っていた。
ある日の放課後。
重い体を引きずりながら教室を出た。
そして部室のドアの前で足を止めた。
何やってるんだろう……。
私はわざわざ部長にダメ出しをされるために演劇部に入ったのだろうか。
もちろん、ちゃんとした脚本が書けない自分が悪いのは分かってる。
だからこそ、私はこの部にいていいのだろうか?
もし、今日……。
「マジっすか?!」
部室の中から声が聞こえた。
「ああ。マジ。そんなに驚くことか?」
部長の声だ。
「驚きますよー。だって毎日、十冊も本を読んでるなんて」
女子部員の言葉に私は驚いた。
「休みの日は二十冊読むよ」
「部長って読書家だったんですね」
「いや、まあ、もともと嫌いではないんだけど。ほら、あれだ小鳥遊」
部長が急に私の苗字を呼んだので心臓が飛び跳ねた。
「小鳥遊に脚本の書き方を教えるために読んでるんだよ。教える俺が読んでないと話にならないからな」
「なるほどー。さすが部長っすね!」
「ああ、これは小鳥遊には内緒な。プレッシャーになるだろうから」
部長の言葉に部員達が声をそろえて「はーい」と返事をした。
……手遅れです。
もうここで聞いてしまったのだから。
私は恥ずかしくなった。
退部届を出そうかと悩んだ自分を。
それから少し時間をおいて、元気に部室に入った。
練習中の部長は相変わらず鬼だった。
だけど、今日は何だか柔らかい表情に見えた。
「じゃあ。私、先に行くね」
ある日の放課後。
私の言葉に愛梨が尋ねる。
「あれ? 今日は演劇部、休みじゃなかった?」
「うん。そうだけど、今日は図書館に寄るの」
「そっかー。最近、頑張ってるね」
愛梨の言葉に私は笑った。
部長の努力に比べたら、私の頑張りなんてまだまだ。
だけど、私なりに一生懸命やってるよ。
来年の新歓の脚本は書かせてもらえるように!
「白鳥先輩の脚本?」
夏休み気分がまだ抜け切れない九月のある日。
私は部活が終わってから部長に「白鳥先輩が過去に書いた脚本を読みたいです」と頼んでみた。
「全部、とってあるよ」
そう言って部長から渡されたのは沢山の台本。
「こんなにあるんですか?」
「前任の部長は大会に出ることに命かけてたからな。その分、台本も多いさ」
「部長は大会とかに出ようって思わないんですか?」
そう口にしてから、私が足を引っ張ってるんじゃ……と思って言葉にしたことを後悔した。
部長は使い込まれた台本をパラパラとめくりながら答える。
「別に大会に出ることが全てじゃないだろ。確かに高い目標があるのは素晴らしいことだと思う」
彼は台本から視線を離し、グラウンドに目をやって続ける。
「だけど、演劇部は生徒達を楽しませるためにあると俺は思ってる。大会よりも、文化祭や新歓に全力を注ぎたいんだ」
そう言った部長の横顔は真剣で、ちょっぴりカッコよく見えた。
「なーんてな」
部長はそう言うとニッと笑った。
私もつられて笑う。
白鳥先輩の書いた台本が何だかさっきより重く感じた。
家に帰って白鳥先輩の脚本を読んだ。
全部読み終える頃には窓の外が明るくなり始めていた。
「……すごい」
その一言に尽きた。
白鳥先輩の脚本はどれも高校生が書いたとは思えないほどレベルが高かった。
そりゃあ新歓の劇があんなに面白いわけだ……。
しかも、こんな素敵なお話を作ってヒロインまで演じる。
その演技も見事で、まるで映画を観ているようだった。
一瞬、挫けそうになった。
「ダメダメ!」
私は首を大きく左右に振った。
そんな白鳥先輩が直々に後任に指名してくれたんだもん。
頑張らなきゃ!
それから私は沢山の本を読み、映画を観て、ミュージカルやお芝居を観に行ったりもした。
もちろん試験勉強も手を抜かない。両親に「成績が下がったら退部しなさい」と言われているからだ。
そして文化祭が近づくと朝練も始まった。
いくら子役Aとは言え、私も舞台に立つのだ。
部長に怒られながら、コゼット役の姫野さんに「足を引っ張らないでよね!」と言われながらも必死で練習をした。
文化祭当日。
公演が近づくにつれて心拍数は上がり、緊張が増していった。
舞台の袖から客席を覗いた。
そこには体育館に入りきらないくらいの沢山の生徒。
用意されたパイプ椅子に座れず、立ち見をしている人もいる。
好奇心で覗くんじゃなかった……。
私が後悔していると、誰かが隣にやってきた。
部長だった。
「どうした? ため息なんかついて」
「いえ……お芝居をするなんて幼稚園以来なので緊張しちゃって」
「何の役だったんだ?」
「『白雪姫』の――」
私はそこで言葉を切り、部長をチラと見てから続ける。
「毒リンゴ役です」
「毒リンゴ?」
「はい」
「毒リンゴって白雪姫が食べる、あの毒リンゴ?」
「そうです。その毒リンゴです。……って何度も言わせないでくださいよー」
私の言葉に部長は笑い出した。
「随分と可愛い毒リンゴだな」
部長はそう言うと私の頭を撫でて、他の部員達の方へ行ってしまった。
心拍数が上がる。
これは緊張しているから。
ただ、それだけ。
演劇部による『レ・ミゼラブル』は終わったと同時に拍手喝采だった。
泣いている女子もチラホラ見えた。
大成功だ。
私は台詞を間違えずに、そして上手く言えたつもりだ。たった一言だったけど。
体育館から出ると、足元がフラついた。
次の瞬間。
目の前が真っ暗になった。
目を覚ますと、真っ白な天井が見えた。
鼻をつく薬品の匂い。
「あれ?」
私は驚いて飛び起きた。
そこは保健室のベッドの上だった。
白いカーテンが開いて、養護教諭の先生が顔を出した。
「あら。目を覚ましたみたいね。気分はどう?」
「気分は悪くないです」
「そう。良かった。寝不足ね。最近、ちゃんと寝てる?」
先生の言葉に私は首を横に振った。
「ダメよ。ちゃんと寝なくちゃ。お肌にも悪いんだからね」
「はい」
「じゃあ、先生はちょっと用事があるから少し保健室を空けるけど、もう少し休んでいってもいいわよ」
先生はそう言い終えると保健室を出て行った。
その直後に保健室のドアが開く音がした。
「失礼します」
このよく通る声は部長だ。
私は反射的に布団で顔を隠した――が三秒遅かった。
部長と目が合ってしまったのだ。
「また寝るつもりだったのか」
彼はそう言って私を睨みつけてから笑った。
「いえ、そういうわけじゃ……」
私は布団をどけて、体を起こしてベッドに座った。
部長は急に真面目な顔になってこう言った。
「ごめんな」
「え?!」
私は驚いて部長を見上げた。
「俺が無理をさせたんだよな。最近、目の下に隈ができたこと気づいてたのに……部長として情けない」
「そんな! 部長のせいじゃないです! 私が良い脚本を書けないから、だから!」
しばらく沈黙が続いた。
それを破ったのは部長だった。
「だけど、倒れるほど頑張ってるから、最近、小鳥遊が見せてくれる脚本は面白いし、今日の演技も役になりきってた」
「本当ですか?!」
「うん。この調子なら来年は安心して引退できるな」
部長はそう言って優しく微笑んだ。
胸が針に刺されたようにチクリと傷んだ。
引退なんて考えたことなかった……。
だから、私はわざと話を変えた。
「今日の部長が演じたジャヴェール警部、迫力があって感動しました」
「ありがとう」
「部長は、やっぱり俳優を目指すんですか?」
「いや。あくまで演劇は趣味だよ。将来は安定した職に就くのが夢だよ」
「なんか……おっさん臭いですよ」
「毒リンゴ臭い小娘には俺の気持ちが分かるまい」
部長はそう言って笑った。
そして、思い出したようにこう言う。
「ああ、白鳥先輩はプロを目指すみたいだけどな」
「女優ですか?」
「いや、脚本家だよ」
「そうなんですか、白鳥先輩ならプロになれますね」
「そうだな。あの人、スゴイからな」
部長はそう言って、どこを見るともなく遠くに視線をやった。
何だか彼が遠くに感じて、思わず私はこんな質問をしてしまった。
「部長は白鳥先輩のこと、好きなんですか?」
部長は目を真ん丸くして私を見た。
そして、少しだけ考えてからこう言った。
「好きだよ」
とびっきりの笑顔つきで。
ヒビが入るんじゃないかってくらい心臓が傷んだ。
聞くんじゃなかった……!
私はその時、部長への気持ちを自覚した。
それと同時に失恋をしたのだ。
思っていた以上に傷は深かった。
でも。
悲しんでいる暇なんてない!
とびきりの脚本を書いて部長を見返してやる!
あと、胸が大きくなる体操もするんだ!
白鳥先輩、胸大きいんだよね……。
私は部長のことなんて考えている暇がないくらい脚本を書くことに没頭した。
新歓で使ってもらえるお話を書けるように。
そのために土日はもちろん、冬休みもエネルギーを注ぎ込んだ。
「おめでとう!」
お昼休み。
愛梨が教室に戻ってくるなりそう言った。
二つのカフェオレを持って。
そして、一つを私に差し出した。
それを受け取ってから愛梨に尋ねる。
「なにが『おめでとう』なの?」
彼女は椅子に腰掛けてから答える。
「今年の新歓の劇の脚本、杏が書いたものを使ってもらえたんでしょ?」
「あれ? 私、まだ言ってないよね?」
「自動販売機のところに部長さんがいて話してるのが聞こえたのよ。『今年の新歓の脚本は一年の小鳥遊の脚本だ』って」
「へえ。そうなんだ」
それを聞いて私は何だか胸がくすぐったくなった。
新歓で脚本を使ってもらえるだけでも嬉しいのに、部長が私の知らないところでそうやって話してくれてるなんて……。
愛梨が付け加える。
「部長さん『あーあ。心配だなあ』って言ってたよ。頑張りなよ!」
「……うん」
ちくしょう!
絶対にAカップ脱出してやる!!!
四月の新歓の劇は大成功だった。
まあ、私の脚本というよりは、部員の演技が上手いからであって……。
しかも部長なんて非の打ち所のない素晴らしい役者っぷり。
これでまた彼のファンは増えただろう。
案の定、演劇部の見学者は去年と同じくらい……いや、去年より多かったが、新部長が「どんどんしごいてやるからな!」と言ったもんだから全員、逃げていった。
それに今年は、部長……元部長は引退だしね。
「おー。やってるな」
そう言って部室を覗きにきたのは元部長の結城先輩だ。
彼は引退してからも、たまにこうして練習を見に来る。
十五分ほどで帰ってしまうが。
「元部長、塾はいいんですかー?」
「もしかしてサボりっすか?」
部員達はそう言って結城先輩の周りを囲む。
私はどう声をかけていいのか分からず、部室の隅でぼんやりと立っていた。
ふと視線を感じて顔を上げた。
姫野さんがこちらを見ている……というより睨んでいる。
彼女は去年の文化祭で見事にコゼット役を演じて、その整った顔立ちと抜群の演技で今はファンクラブまである。
そんな姫野さんがなぜ私を睨んでいるのだろう。
私の脚本が納得いかないのかなー……。
そう思ってため息をついた時。
「じゃあ、俺はこれで」
結城先輩はそれだけ言うと部室を後にした。
何だか今は遠くの世界の人みたいだ。
しかも先輩は私が逆立ちしても届かないほどレベルの高い大学を受験するらしい。
来年には本当に遠くの世界に行ってしまうんだ……。
「小鳥遊さん」
練習を終えて、部室を出ようとした所で、誰かに呼び止められた。
振り返ると、後ろに立っていたのは姫野さんだった。
「なんでしょう?」
「ちょっと話があるの」
彼女は無表情のままそう言った。
なんだろう、すごく怖いんだけど……。
誰もいなくなった部室で、姫野さんがパイプ椅子に腰かけた。
私は「失礼します」と言って彼女の向かいに腰掛けた。
ちなみに私と彼女は同じ二年生である。
しかし、姫野さんの迫力に負けて、ついつい敬語を使ってしまう。
「今年の文化祭で最後よね」
姫野さんは唐突にそう言った。
「え? ええ。そう、ですね」
「脚本はもちろん貴方よね?」
「そのつもりですが……」
姫野さんはミネラルウォーターのペットボトルに口をつけ、一口飲んでから言う。
「告白しなさいよ」
「はあ?!」
「ね?」
「ね? って! 言ってる意味が全く分かりません! 文化祭の脚本と告白がどういう関係が――」
そこまで言ってハッとした。
私の顔を見てから、姫野さんが口を開いた。
「小鳥遊さんって結城先輩のことが好きなんでしょ?」
「ええっ?!」
私は驚いて椅子から落ちそうになった。
「貴方って分かりやすいのよね……。顔に出てるのよ」
「もしかして、結城先輩に告白しろということですか? しかも文化祭の脚本で?!」
「そういうこと。その方が盛り上がるわ」
「いや、だって私、フラれてるんですよ……」
「告白したの?」
「いえ、してませんけど……」
「じゃあ、まだフラれたわけじゃないのよ。告白しなさいよ!」
姫野さんはそう言って獲物を見つけた猫のような瞳で私を見た。
「告白はともかく。脚本で、というのはちょっと私情が入りすぎじゃあ……」
「私から部長に話してあげるわ。多分、部長もそういうの好きだと思うし」
彼女の言葉に私はしばらく考えこんだ。
告白なんて考えたこともなかった。
確かに気持ちを伝えたくないと言えば嘘になる。
そうでなくても先輩は今年、卒業してしまう。
文化祭で告白というのは、もしかしたら最後のチャンスかもしれない。
だけど、失恋するのは目に見えている。
だって先輩は白鳥先輩のことが好きなんだから。
ただ、このまま気持ちを伝えないのはもっと後悔する。
脚本の中で告白。
面白いかもしれない。
私だって今年が最後の文化祭。
先輩にとっても最後の文化祭。
何かデッカイことをやらかして先輩を驚かせるのも面白いかも……。
「やります」
私の言葉に姫野さんは少しだけ微笑んでこう言った。
「面白い脚本を期待してるわ」
部長は告白を混ぜた脚本を快諾してくれた。
私は早速、恋愛小説を読み漁った。
漫画もアニメもドラマも映画も演劇も。
恋とつけば何でも観た。
「今年の文化祭も小鳥遊が脚本を書くんだってな!」
ある日の練習中。
休憩時間に顔を出した結城先輩がそう声をかけてきた。
うとうとしていた私は驚いて椅子から落ちてしまった。
「おいおい……大丈夫かよ」
先輩は苦笑いをしながら床に尻もちをついている私を見た。
穴があったら入りたい……!
「しょーがねぇなあ。ほら」
先輩はそう言うと右手をこちらに差し出してた。
「え?」
私がきょとんとしてその大きな手を見ると、先輩は言った。
「お手をどうぞ、姫」
そう言って彼は床に跪いた。
私はドキドキする胸を押さえて、その手をとった。
先輩は優しく私を立たせてくれた。
「重っ!」
先輩はそう言って眉間に皺を寄せた。
「え”っ?! そ、そりゃあ、ちょっと体重増えましたけど!」
「冗談だよ」
先輩は笑い出した。
「な! 相変わらずですね!」
「いやいや。それだけ元気なら安心した」
「え?」
私が驚いて先輩を見ると、真面目な顔に戻った彼が言う。
「最近、俺が覗きに来る度に元気がなさそうだったから心配した」
先輩はそう言うと優しく微笑んだ。
「アハハ。私はいつでも元気ですよー」
それだけ言うと「ちょっとトイレ行ってきます」と部長に告げて私は部室を出た。
トイレの洗面所で顔を洗った。
些細な言葉に涙が出るなんて……。
こんなに人を好きになったのは初めてだ。
私は左手を見た。
先輩の手、大きくて温かった。
文化祭の脚本を書き終えると、部長にチェックしてもらい、さらに部員全員に読んでもらう。
なんだよこの羞恥プレイは……。
一番、うるさかったのはこの人だった。
「はあ?! なにこの台詞! こんな台詞、臭過ぎて言えないわよ!」
姫野さんだ。
彼女には部長と相談して主役を演じてもらうつもり。
しかし、手強そうだ……。
何度も何度も脚本を書き直した。
全部、暗記できてしまうくらいに。
ようやく部長と出演者(主に姫野さん)に「これでやろう」と言ってもらった時は、飛び上がって喜んだ。
しかし。
これからが勝負だ。
なぜなら今回は私も舞台に立つからだ。
「どういう話なの?」
文化祭が間近に迫ったある日のお昼休み。
二年生でも同じクラスになった愛梨がそう尋ねてきた。
「見てからのお楽しみ」
「私、クラスの出し物のメイド喫茶があるから見に行けるのは途中からなのよ」
「ああ、そっか」
私はコホンと咳払いをしてから口を開く。
「タイトルは『プリンセス・ソード』」
「へぇ。どんな話?」
「簡単に言えば、お姫様が騎士と冒険をする話かな」
私はそれだけ言うとカフェオレを飲んだ。
「で、杏は何の役なの?」
「お姫様は双子っていう設定なんだけど、主役のシャルロット役は姫野さんっていう子で、私はその姉のジュリエット役」
「じゃあ、出番が沢山あるじゃない!」
「そうでもないんだけどね」
私はそう言っておにぎりにかぶりついた。
「でも、今回は『告白』っていう重要な役があるんだからさ」
「そうなんだよね」
そう。
いくら出番が少ないとは言え、重要な役。
しかも私には「告白をする」という大きなイベントだってある。
頑張らなきゃ!
「あー! もう、なにその棒読み! やる気あるの?!」
姫野さんがそう言って私を睨みつける。
「まあまあ、姫野さん。楽しくいこうよ!」
騎士役の半田君が彼女をなだめる。
「楽しいだけじゃ演技はできないわ!」
姫野さんはそう言ってツンと横を向いた。
「ごめんね、もっともっと練習するから」
私はそう言って頭を下げた。
実際に演技が下手なことは違いない。
姫野さんが怒るのも無理はないのだ。
私はそれから自主的に居残りをして遅くまで練習をした。
自分の演技を携帯電話で撮影して後でチェックしたり、姫野さんや半田君にも見てもらったりした。
どんなに練習しても結城先輩のような演技はできなかった。
そりゃあ、あんな超人と比べちゃいけないけど……。
「はあ……」
私は崩れるようにしてパイプ椅子に座りこんだ。
今日も一人で居残り練習。
以前よりは上手くなってきたと思うんだけどなあ……。
文化祭まであと一週間。
舞台に立つというだけでも緊張するのに、さらに告白なんて……。
「できるのかな……」
そう呟いた瞬間。
部室のドアが開いた。
「お。居残りか?」
そう言って部室に入ってきた人物を見て、思わず飲んでいたスポーツドリンクを吹き出しそうになった。
「結城先輩!」
「最近、自主練してるんだって?」
「え?! 知ってたんですか?」
「小鳥遊さんは演技はド下手だけど根性だけはあるんですよね。遅くまで自主練なんかしちゃって、一昔前のドラマじゃあるまいし」
先輩は裏声でそう言って笑った。
「もしかして、それ、姫野さんの真似ですか?」
「お。似てた?」
「似てたというか、そんなことを言う人物は姫野さんぐらいしか心当たりがないので……」
私はそう言って苦笑いをした。
「あんまり無理はするなよ。去年みたいなことになったら大変だ」
「そうですね。程々にしておきます」
「それじゃあ、俺はこれで行くよ」
先輩はそう言って踵を返した。
もう行っちゃうんだ……。
そう思って小さくため息をついた。
「差し入れ、ここに置いておくよ」
先輩はそう言うと長机の上に缶コーヒーを置いた。
「ありがとうございます!」
私の言葉に、先輩はこちらを振り返って微笑み、部室を出て行った。
缶コーヒを手に取った。
宝物に決定!
文化祭当日。
朝から落ち着かなくて、お昼ご飯は喉を通らなかった。
体育館へ向かう頃には心臓が口から飛び出そうだった。
「失敗しないでよね。笑われるのは演劇部なんだから」
姫野さんの言葉に私は頷いて言う。
「私も失敗したくない。いや、絶対に成功せさてみせる」
幕が上がった。
私の出番は劇の最初と最後だけ。
台詞も少ない。
だけど、私には演技以外にも「告白をする」という大イベントがある。
「私はシャルロットのように早く走ることなんかできないわ」
私はそう言って微笑む。
自分の台詞が終わり、ホッとして客席に目をやると。
一番前の席には結城先輩がいた。
その隣には私服姿の綺麗な女性がいた。
二人は楽しそうにお喋りをしている。
その光景を見て、私は頭を何かで殴られたような衝撃を受けた。
私の異変に気づいた姫野さんが、私の腕を引っ張ってこう言った。
「お姉さま! お父様が呼んでいるわ。行きましょう」
彼女はそう言うと、舞台の袖まで私を引っ張った。
こんな台詞も演出も台本にはない。
完全に彼女のアドリブだ。
「どうしたの?」
私の問いに姫野さんは怒ったような顔でこう言った。
「こっちの台詞よ。しっかりしてよね!」
私は少しの間、黙りこんでからこう言った。
「告白、できない」
「はあ?! 何言ってんのよ!」
「だって先輩、女の人と一緒だし……」
私が俯いてそう言うと、姫野さんは笑い出した。
そして口を開く。
「あれは先輩のお姉さんよ!」
「え?!」
「さっき結城先輩とバッタリ会ってね。『俺の姉』って紹介されたわ。この高校の、しかも演劇部出身だそうよ」
「そうだったの……」
「好きな相手の基本的な情報くらい入手しておきなさいよね!」
姫野さんはそう言うと、舞台に戻っていった。
騎士のアベルとシャルロット姫は一緒に旅をする内に愛情が芽生え、姫は剣の腕がどんどん上達していった。
生きる理由を失っていたアベルがシャルロットに告白をした。
彼女も彼のことを愛していた。
しかし、その日、城の兵隊に見つかった二人は城へと連れ戻されてしまう。
アベルはシャルロットを連れだした罪で死刑が決まってしまった。
死刑の日、シャルロットが彼を助け、二人は城から再び逃げて行く。
そして。
最後のシーン。
ジュリエットが自室で窓の外を眺めているシーンだ。
私は舞台の中央でどこを見るともなく遠くに目をやりながら呟く。
「恋をした女の子は強いわね。私も、強くなれるかしら……」
客席視線を移し、続ける。
「だって私も恋をしてしまったのよ」
小さく深呼吸。
結城先輩を見て、こう言う。
「あの人のことが、好きなの」
すると。
舞台が真っ暗になった。
あれ?
こんな演出はなかったはず……。
私が慌てていると、照明が戻った。
そして。
目の前を見て驚いた。
心臓が喉まで飛び上がった。
だって私の目の前には結城先輩が立っていたのだ。
舞台に上がってきた彼は、跪き、私の手を取る。
「お呼びでしょうか」
少し躊躇してたが、私は意を決した。
そして体育館中に響く大きな声で言う。
「好きなんです! ずっと好きだったんです、貴方のこと!」
次の瞬間。
結城先輩は私を抱きしめた。
「俺もだよ」
私は驚いてパニックになった。
そして小声で先輩に言う。
「あの、演技しなくてもいいですよ。それに先輩は白鳥先輩が好きなんですよね」
「白鳥先輩のことは人間として好きだよ。恋愛感情だなんて一言も言ってない」
「え?!」
「俺が好きなのはお前だけだ。これは演技でも何でもない。これからすることも――」
客席から歓声が上がる。
舞台の袖の部員達が笑っているのが見えた。
結城先輩の唇が私の唇から離れた。
彼はニヤリと笑ってこう言った。
「地獄の果てまでご一緒しますよ、姫」
<終>
―――
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました!
甘め(?)の恋愛小説を目指して書いてみました。
一番、苦労したのは杏の告白の脚本に登場する
双子の姫の名前でした(;´∀`)